2016年 09月 22日
彼岸に出逢う
ウオーキングがメーンか、墓参がメーンか?
どっちでもいいじゃない(笑)
旦那さんの墓参に出かけるために、墓参りの備品と小銭入れを持参する(笑)
旦那の墓所は、嵯峨野にある、根っからの地元人って事です
年初、松の内に一度
春の彼岸と秋の彼岸
盂蘭盆にと、数えるほどしか参らないが、手を合わせて拝む内容は
「○○(旦那の名前)をよろしくね・・」とだけ・・それ以上、私が申すことはなし
帰宅途中にある喫茶店にてモーニングをの予定に小銭が不可欠って訳
時計を見ると、開店には少し間がありそう
だから、ウオーキング先を清凉寺(釈迦堂)まで伸ばしてみる
人気のない広い敷地内で阿弥陀堂に灯りを見つけた
あ~・・お彼岸だね・・安らいだきもちにさせてくれる
帰路の途中で、この文字盤を見つけると、足を留めて見入る
生きていることに、悔いた記憶は無いが
つまずくと、何処にも当てようのない気持ちがわく
これを「生まれを問うな」と当てはめると、そうとも言えそうだ
「行為を問え」と続くと
わが身の後ろにできた路を問いたくなった
哲学であったり、禅問答であったり、どれにでも当てはめてみるが
この年まで、改めての問答に苦笑い
この世と、あの世の狭間で、まだ生かされているのだとしたら
なんて、柄にもない気持ちの朝だった
by zakkkan
| 2016-09-22 15:10
| 雑感